川手シェフが今回、この記事のために用意してくれたのは、エイジングブースター研究会で質問してくれた食材である丸のままの鴨だ。青森県三戸市で育てられている「銀の鴨」を丸のまま熟成庫内に入れて4日間熟成したものを用意してくれていた。
「見ただけですでに、水分が飛んでいることがわかりますよね。この丸のままの鴨に、熱した油をかけて熱を入れていきます。中国料理にもこうした技法がありますが、フレンチでも同様の技法があるのです。」
丸のままの鴨に油をかける度にジャーッという音が立ち、水分が蒸気となって揮発していく。10分ほど油をかけて加熱したところで、しばし置いて休め、余熱で火を通す。
「普通の冷蔵庫で熟成させたものだと、この段階でしばらく置いておくと、肉のなかの水分が表面に染み出てくることが普通なんです。表面の水分は飛んでいても、内部の水分が抜けていないので、それが戻ってしまうんです。ですが、エイジングブースターで熟成すると、内部の水分もキッチリ抜けてくれます。これは、庫内の風量を50%と強めに設定しているのがよいのかもしれません。」
余熱で火が通った鴨肉から手羽の部分をさばいて外し、骨を抜いて肉をミンチに引く。そこに玉ねぎや香草を加え、カブの糠漬けに太白胡麻油を足してをピューレにしたものを加えて混ぜる。これをおおぶりのシイタケに塗って、付け合わせとする。
熱でじんわり火が入った鴨に再度、油をかけまわし、仕上げていく。
「ジビエの中でもやっぱり鴨が、エイジングブースターに向いている食材だと思っていました。鴨はできるだけ熟成させて美味しさや香りを最大限に引き出したい食材なのですが、どうやっても肉より先に内臓が傷んでしまうのです。ですから以前は、燻製をかけて殺菌効果を高めたワラを鴨のお腹に詰めて、冷蔵庫に入れて熟成していました。」
なんと、ワラを鴨のお腹に入れるとは!
「ベルギーのシェフは麦ワラで同じことをして、2週間熟成しているそうです。ただ、日本では2週間も熟成するとほぼ腐ってしまう。エイジングブースターを使えば、わずか4日間で、もっと長い期間で熟成かけたのと同様の結果が出せる。安全に早く熟成ができるというのは、素晴らしいことだと思います。」
さて、火入れが完全に仕上がった鴨肉は、なんともすばらしいロゼ色だ。肉汁がしっかりと内部に貯め込まれ、漏れ出ることがない。
大ぶりの胸肉をカットしたものと、シイタケにミンチした手羽肉を塗りつけて焼いたものにあわせるのは、トマトからとったクリアウォーターに蜂蜜を少量加えて煮詰めた、透明感溢れる野菜のソースに、オーブンでローストした昆布を粉砕して太白胡麻油と合わせた昆布オイルをひとたらししたものだ。
「フランス料理は骨からとっただしをベースに濃いソースを仕立てて肉にかけるのが基本です。ただ、この料理ではそうはしませんでした。それは、エイジングブースターでの熟成で、鴨肉自体のうまみと香りが最大化されているからです。逆に、野菜中心の淡いソースにすることで、鴨肉の風味が生きるようになっているのです。」
鴨の胸肉は、よく研がれたナイフが引っかかり無くスッと入る柔らかさ。口に運ぶと、筋繊維がほどけるような柔らかさを感じるが、それ以上に濃厚かつ上品な香りがあり、また濃密なうま味が感じられる。トマトのクリアウォーターのソースに、昆布のうま味が加わったソースによって、そのうま味が倍化し、鴨肉の美味しさが引き立つのだ。
この強いうま味を普通の冷蔵庫で引き出そうとしたら、雑菌の繁殖によって臭みが出てくるかもしれない。しかし、4日という短期間で熟成が完了しているためか、そうした腐敗に傾くことで生じる臭みはまったく感じられない。そういった意味で、エイジングブースターの特性を引き出した、素晴らしい料理である。
「日本の鴨肉は、フランスのブランド鴨に比べると硬めに感じます。フランスの、例えばシャラン鴨は本当に柔らかい。それに近づけるためにも、エイジングブースターで熟成することで、鴨肉の筋繊維を柔らかくすることは有効です。もう一点、エイジングブースターの効果として、脂の変化も大きいと思います。風味がよくなり、ソースと馴染むのです。硬さがとれて一体感が出るような脂になると実感しています。」
脂の質が変わるというのは、他のシェフからも異口同音に聴かれることだ。エイジングブースターの効果は、使っているシェフ自身が実感するものなのだろう。
「エイジングブースターの意義は、深く食材と向き合う人でないと、気がつかないかもしれませんね。でも、真剣に食材をみる料理人であれば、きっと使いこなすことが出来ると思います。メリットは本当に大きいですよ。僕は、ホテルのレストランのコンサルティングもしているのですが、衛生面での基準がとても厳しいホテルのレストランのような業態こそ、エイジングブースターが活きる現場だと思いますね。」
ただし、まだ改善点もありそうだと川手シェフは言う。
「たとえば、庫内のどこに置くかで熟成の度合いが変わるんです。現行機だと、マイクロ波のあたり方が場所によって違うんでしょうね。私たちは毎日、熟度を確認しながら上下左右に肉を置き換え、その時に熟成の具合を把握するようにしています。もし、入れっぱなしにして何もしないという料理人だと「あれっ ここだけ熟成が進んでいないな」というようなこともあるかもしれません。新型機が出る際には、この辺が解消されていることを期待しています。」
エイジングブースターについて川手シェフが語る時、眼にキラキラした光が入って見えるのは、筆者の錯覚ではないだろう。純粋な子供が、最高に面白いおもちゃを手に入れたときのような、このおもちゃの奥の奥までを探求して、遊び尽くすぞという気概を感じる。川手シェフの渾身のジビエ料理を味わいに、ぜひフロリレージュへ足を運んでいただきたい。
※本記事は、旧店舗(外苑前)での取材をもとに執筆しています。